
有明海の魚貝類をおいしく食べてもらい
柳川と有明海のことをもっと
知っていただきたい。
柳川市の中心部、観光名所としても有名な柳川藩主立花邸「御花」のすぐ近くにある夜明茶屋。気候や海の環境の変化により漁獲量はだんだんと減少している現実はありますが、それを乗り越えるべく、毎朝、地元の魚市場で競りおとした有明海の新鮮で珍しい魚貝類を、みなさんにおいしく食べていただくことが何よりの喜びです。そして、もっと多くの人々にこの街と有明海のことを知っていただきたい。そんな強い想いと誇りを持って、地域のみなさんと一緒にしっかりと歩んでいきます。

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初代の平野キヨ
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最盛期の沖ノ端の風景と
自主運搬船「新生丸」
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初代の平野キヨ
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最盛期の沖ノ端の風景と自主運搬船「新生丸」
いつしか地元の漁師さんから
「夜明茶屋」と呼ばれる存在に。
夜明茶屋の歴史は、明治23(1890)年に平野キヨが柳川の沖ノ端で鮮魚店「平野商店」を開業したことから幕を開けます。当時、女性が社会進出することは難しい時代でした。
しかし、もともとお酒が好きで、人と接することが上手だったキヨは、夜明けになると漁師さんたちの安全と大漁を願ってお茶と称したお酒を振る舞い、お店はいつしか「夜明茶屋」と呼ばれるようになりました。
一方、沖ノ端は昔から「宝の海」と呼ばれる有明海有数の水揚港であり、当社は鮮魚店から網元へと商売を広げました。また、近くに魚市場があり、確かな目利きで海産物を競り落として、市内外へ。有明海産のタイラギを東京の築地市場に直接出荷し、取扱量が全国で5本の指に入ることもありました。
日本が世界に誇れる有明海を
しっかりと守っていきたい。

四代目 金子 英典
有明海は干満の差が日本一大きく、ワラスボやムツゴロウなど他の海では見ることができない、珍しい様々な魚種がいるのが大きな魅力です。まさに「日本が世界に誇れる海」なのです。
ただ、自分が子供の頃の最盛期から比べるとここ数十年で漁獲量が大きく減少してしまっているのが現実です。気候変動をはじめ海の環境の変化、生態系の変化が大きな理由と考えられます。
そのため、食堂で有明海の魚貝類を提供したときに「実は有明海の漁獲量が減ってきていて食べられなくなってきているんだよ」とか「今日食べられたものがもしかすると来年は食べられなくなるかもしれないんだよ」とか、有明海が直面している課題を周りのみなさんに伝えていくことも私の使命だと思っています。
さらに、会社としての取り組みとしては山の栄養である「フルボ酸」を使った有明海再生事業を行っており、海に蔓延してしまうヘドロを除去する作業もしています。
自分たちは今までずっと長い間、有明海から恩恵をいただいてきたので、しっかりと恩返ししていきたいと思います。これからも有明海のために尽力していきたい気持ちは変わっていません。みなさまにはぜひ柳川へお越しいただき、有明海に生息する魚のことや料理のこと、抱えている課題や未来に向けての取り組みなどをまずは小さくても知っていただけたら大変幸いです。

四代目 金子 英典